文房堂の歴史

  • 1887年
    明治20年
  • 創業明治20年(1887年)6月6日 東京市神田区小川町で創業(現在の崇文荘書店がある場所)
     店舗は創業者池田治朗吉の遠縁にあたる早矢仕有的(はやし ゆうてき・丸善の創業者)が経営していた中西屋書店の一部を借りてスタート。(文房堂、丸善の創業者は共に福沢諭吉の門下生であったそうです。福沢諭吉は西洋文化を奨励し丸善には西洋文化、言葉(書物)、文房堂には西洋美術(画材)の輸入販売を勧めたそうです。)
     創業当初は輸入文具を取り扱っていましたが間もなくオリジナルの大学ノート、5線紙の販売を始め、やがて画材を中心にオリジナル品として国産化を目指す様になります。 (もともと池田治朗吉自身の絵画志向が強く自ら水彩画を描いていたと伝え聞いています。)
    その後日本画壇の洋画主流の流れを受け、弊社は発展して行きます。
  • 1892年
    神田の大火
    1894年
    日清戦争始まる
    1904年
    日露戦争始まる
  • 1906年
    明治39年
  • 中西屋書店より独立、現在の神田すずらん通りに店舗を新築。
  • 1914年
    第一次世界大戦始まる
  • 1917年
    大正6年
  • 店舗を拡張。
  • 1920年
    大正9年
  • 10月31日 文房堂カタログ発行
  • 1921年
    大正10年
  • 日本初の専門家用油絵の具を製造、販売。
  • 1922年
    大正11年
  • 現在の社屋(外壁)完成。
  • 1925年
    大正14年
  • 図案画用絵具を「ポスターカラー」と命名・発売
文房堂カタログ

文房堂カタログ

文房堂油絵具

文房堂油絵具

(神田の大火で全焼後建て直した当時の文房堂と中西屋書店の様子。年代不詳)

※左側入口が文房堂、扉上部に「文房堂」の文字が見える

1909年(明治42年)当時の写真

1917年(大正6年) 店舗を拡張

(人物右上:初代池田治朗吉、左上:二代目池田治朗吉
(資料:「JAPAN IN THE TAISHO ERA.」 大正6年ジャパンガゼット社発行)


1914年
第一次世界大戦始まる

1923年(大正12年)9月1日 関東大震災直後の様子(写真右上、上部に塔があるのが文房堂)

1923年(大正12年)9月1日 関東大震災直後の様子(写真右上、上部に塔があるのが文房堂)
当時ではまだ珍しい鉄筋造りであった為、倒壊を免れました。

(写真:アサヒグラフ 昭和51年11月15日号より ※朝日新聞社所有)

  • 1930年
    昭和5年
  • 本社内の文房堂画廊(現文房堂ギャラリー)で「文房堂油絵具による展覧会」を開催。

  • 1987年
    昭和62年
  • 建物上部にあった塔と、建物外壁
    当時は商店街アーケードの庇が付いており、正面道路から全体を望む事は出来ませんでした。
月刊本の街 昭和62年4月10日号

月刊本の街 昭和62年4月10日号

月刊本の街 昭和62年6月10日号

月刊本の街 昭和62年6月10日号

  • 1990年
    平成元年
  • 区の要請や地元住民の皆様の希望もあり、外壁のみを保存し特殊工法により背面の建物を建て替え。
  • 1993年
    平成5年
  • 『第2回 千代田区景観賞 ちよだ景観界隈賞』(「都市景観賞」)を受賞。
  • 1994年
    平成6年
  • ペーパークリップ「クリッピー」開発・発売
    ISOT‘95ステーショナリーオブザイヤー(新製品部門)受賞
    グッドデザイン中小企業庁長官特別賞受賞
  • 2003年
    平成14年
  • 千代田区より「千代田区景観まちづくり重要物件」に指定される。
    同年外壁補修工事を行い現在に至る。
2002年頃の様子

2002年頃の様子

2003年、外壁補修直後の様子

2003年、外壁補修直後の様子

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